「ダイエットしないダイエット」

村上カナコのブログです。

気のせいっていったら気のせい

思いがけない出会いはなぜだったのか。先生はわたしたちの30代の年祝いに来なかったし、賞を取ったから騒がれそうで来づらいのかなとか、スタートの足を入れ替えたお礼をいいたいけれど連絡先は知らないし、もう会うことはないかと思っていました。

 

中3のこれくらいの時期、クラスメイトで同じ部活だった前の席の女の子が自宅で不慮の事故で亡くなりました。わたしたちに何かできたかというと、そういうものではない事故。でも先生は、それをきっかけに移動先の学校に出社できなくなり、結果今に至るそうです。

 

もしかして、境界線を越えて自分のことを本当に思ってくれた先生に、彼女が何かしたかったからの出会いなのかな? と、ふとよぎりました。わたしに特別なことができるわけではないし、そこに責任を負っているわけではないんだけれど。なんとなく。

 

帰りの会で「亡くなりました」といわれた瞬間、普段泣かない女の子たちが瞬間的に泣き始め、泣きやすいはずのわたしの感情は、危険を察知したのか胸の手前で止まり、思考停止しました。こういうときに泣かない自分をはじめて知りました。


どうやって帰ったかもわからないまま家に着き、一人になったら自動制御装置はオフ。今度はこみ上げた感情が思考を追い越し、一晩中泣いたけれどまぶたが一切腫れずカラダの水分が切れたのかと思ったこと。読み上げたお別れの言葉の一文、顔を上げるたびに見なくてはならなかった前の席に飾られた花瓶は覚えています。


さほどスピリチュアルでも、いつもこのことばかり考えているわけでもありません。ただ、“目の前にいる人(お互いに生きているとき)にかける声が本当にそれでいいのか” 自分の中から出る言葉や心根を見直すきっかけのシンボルとしておきたいのです。